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2023

僕が京大ラグビー部を辞めた理由

今年度より久留米高専から編入してきました才田隼輔です。編入試験は入試難易度が一般入試に比べてかなり簡単なので、普通高校に行っていたら到底行けなかったであろう、京大にぬるっと入ることができました。合格発表が9月にあり、そこからは定期的に京大ラグビー部の試合や動画などを見ていて、京大ラグビー部の一員になれることを待ち侘びていました。また、京都に引っ越してすぐ、練習に参加させてもらい、入部宣言しました。


ここまでは、順調な出だしだったのですが、問題が発生しました。それは、僕の認定単位の申請に不備があり、高専での単位をあまり認定してもらえなかったというものでした。そもそも高専からの編入生は人社、第二外国語を取り直さなければならないのに、余計さらに単位を取らなければならなくなったことでラグビーを続けるのは無理だと、ラグビーを辞めることにしました。


その旨を同期の草野君に伝え、入部を取り消すため、彼に言われるがまま、ラグビー部の運動会に参加しました。完全に草野君の罠でした。運動会に行くと、体が大きいためラグビー部の即戦力になれるっと期待してくれた先輩やOBの方々が色々優しくしてくれて、お腹いっぱいお肉を食べさせてくれました。とてもラグビー部辞めますと言える雰囲気ではありませんでした。


結局辞めると言えず、なんだかんだで、本格的に練習が始まり、練習中や毎日帰り道の電車の中で「いつラグビー部やめようかな」ばっかり考えていていました。でも、もしラグビーを辞めたら、自分には何も残らないと思っていたので、怖くてすぐには辞めれませんでした。そこでラグビー以外の自分の居場所を作ってから、ラグビー部をやめようと、バーベル部に入部したり、国際交流系のサークルに入ったり、研究室の面接を受けたり、留学を申し込んだりしました。研究室と留学の採用倍率が高かったので、もし万が一どちらも通ったらラグビー部を辞めようと決めました。すると、まさかどちらも通りました。そのため、成城戦を最後の試合にしてラグビーを引退することを決めました。最後の試合だから、一生懸命プレーしました。すると、まさかMOMに選ばれてしまい、調子に乗って思わず「FWコーチの志村さんを超えます」っと口を滑らしてしまいました。そこでラグビー部の一軍としてチームの主力でいる間は続けておこうと、ラグビー部を辞める条件を「Aチームを外れた時」に変えました。その後、研究室も授業も本格的に始まって、ラグビー以外のことで一杯一杯になって練習にあまり行かなくなりました。すると、当たり前ですが防衛大戦のメンバーから外れました。辞める条件を満たしたため、ラグビー部を辞めるために、キャプテンに連絡して、ラグビー部を辞めました。辞めた日の夜、悲しい音楽を聞いてたら、涙が止まらなくなりました。僕は体がでかいのに、弱気でタックルが苦手で、いつか克服したいと思っていたことを思い出しました。泣いてたら、キャプテンから電話がかかってきました。そこで、退部して一日もせず、再入部しました。でも自分の中で研究室、ラグビー、学校の課題を全てこなせるかずっと不安でした。そのことを、防衛大戦の帰りの新幹線で五十嵐くんに打ち明けました。すると、五十嵐君は「研究室も続けて欲しいし、ラグビーも続けて欲しい。忙しすぎてラグビーが行けなくてもいい。才田がラグビー辞めたくないって思うような同期でいたい。」と言ってくれました。彼の言葉で、自分の中で不安だったことが一気になくなりました。春シーズン後半になり徐々に、毎日は練習行けていませんが、両立生活にも慣れてきました。また慶應戦の前日の志村さんと渡邉さんと和氣さんとやったスクラムの特訓で大学に入って初めて練習中にラグビー楽しいと思いました。自然と「いつラグビー部やめようかな」と考えなくなっていました。ようやくラグビーが楽しくなってきたところで、夏オフですが毎日お米を六合食べてバチバチ筋トレしてモリモリデカくなりたいと思います。


次は、僕と同じく、部車じゃなく電車でグラウンドに行く派の園田くんです。


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